あいがえ企画

八丈島にUターンして仕事づくり。日々の雑記。

1029、1030日目

部屋の中でいたちと目が合う。そんな夜…。

 

ヨガと宗教は切っても切れない関係性だが、勉強をしていると意外と自分の宗教観というものがあるな、と思う。日本人は自分は無宗教だ、という人が多いが、神社やお寺を参らない一神教の教徒を白い目で見たり普通にする。そこに、宗教観が垣間見える。名前のついた宗教に属していないのと、宗教観がないのとはちがうんだろう。

 

どんな神様も日本に来ればみんな八百万の神のひとり。我々はクリスマスを祝い、神社に詣で、仏間を作り、ハロウィンだってする。なんかかっこいいという理由で梵字を彫ってみたり、十字架を首からさげたり、ガネーシャ柄の入ったTシャツを着て、ゲームでオーディーンを召喚したりする。宗教のごった煮だ。

 

気にしない。それが普通だと思っている。

 

して、私の宗教観、というのは、人間がどうあがいたところで神様のきめたことは覆らなくね?ということ。そんでもって神様たちはそんなに人間に興味などないということ。

 

おそらくこれは、自然信仰からきている。今世界で主流の宗教は、基本的に人間のためにあると思う。みな幸せになりたいし、救いがほしい。苦しい地域でこそそれは顕著に起こっただろう。

 

しかし、日本人は仏教や神道がうまれるよりまえから、海や山、皮などの自然を神と崇めてきた。それは恐れや畏敬の念であってすがるものではなかったはずだ。

 

自然は人間がどうすることもできないものだと私は知っている。そしていつか還る場所だとも思っている。

 

そんなわけで、頑張って修行しても来世はわからないし、祈ったところで誰も救ってくれないと思っている。

 

ただ、私にインドの宗教はいまのところはまっていないのだが、その中にも似た感覚、概念があるので自分の中で訳するのは面白い。そうだな、違うだろうな、と思う中で日々気付きがある。

 

つまるところ、人間も、学びも面白い。諦めることばかり学んできたが、自分の助けになることをまなぶのはとてもよいのだな。

 

その先には自分だけでなく誰かの助けになる時も来るかもしれない。

 

そうだったらいい。