1009日目
社会には、世界には、色んな人がいて、みんな前提も、価値観も違うからみんながみんな同じ方向をむくのはなかなか難しい。
学校は社会の縮図のよう。特に八丈島は、学力などもばらばらである。
学校にいると度々自分が高校生のときを思い出す。私の錯覚だったのかもしれないが、たしかに皆が同じ方向をむいていると感じた瞬間が少なからずあった。それはもちろん全員では無いけれど、大半はそうだった。一部の人間を無視していいのかはわからないけれど、みんなでやり遂げたと思うことがあった。それは例えば体育祭だったり、文化祭だったり、部活だったり。単純に楽しかった。
さて、今の学生たちはどうだろう。みんなとは言わずとも大半が同じ方向を向いてる瞬間がどれだけあるだろう?
そんなとき、役割のことを考える。良いチームはお互いの不得手を得意で補いあっている。補うためには相手のことを知ることが必要不可欠だし、自分のことを知るのもまた不可欠だ。また相手と自分が違うことをよく理解していなたほうがいい。
あんなふうに、リーダーシップはとれないから、あんなふうに文章はかけないから、あんなふうに、なれないから。そうやって楽しくない道を選ぶ人は多いのではなかろうか。自分には関係ない、と思うひとつの要因ではなかろうか。
教育はむずかしい、どう伝えていいものかまだまだわからない、多分一生難しいと思い続ける。
いつからか、聞き分けの良い大人になったな。聞き分けの良い、というより、親や教師もまず人である、と歳を重ねてわかっただけかな。学生時代はやたら理想が高くて親のくせに、教師のくせにとよくおもっていた。先生からの評価はたいてい態度が悪い、で、「なんで先生になったんですか?」「それ授業放棄ですか?」とか普通に言っていた。大人はみんなちゃんとしてろよ、と思っていた。
でも大人でも子供でも個体差があるってだけだった。
今はそうやって、認められるし、みんな同じ方向見るのは難しいと言えるけど、悪くいえば諦めてしまったのかもしれない。
わからないな。
きみたちはすごいよ、と教えてあげたいけど、きっとまだまだできる。