あいがえ企画

八丈島にUターンして仕事づくり。日々の雑記。

狩に興味があった。

縄文と弥生のまんなかが舞台の小説を読んだりしたから。

屋久島で生きて島を闊歩する鹿をみてから

美味しくなったのを食べたりしたから。

 

狩、育てる事が始まる前からあって

それは神様に分けて貰う事だった。

 

狩猟と解体、食するとこまでの体験が

岐阜でできると聞いて行ってみた。

 

実際、狩はしなかった。それどころか生きた動物すらみなかった。

ぶらさがった肉を、大勢が囲んで、笑顔で、わいわい、バラバラにしていた。

講師である猟師は、皮や肉をぞんざいに扱っているように見える。

なんだこれは。

 

違和感しかない。

そんなにはしゃいでピース決めて写真撮るようなことか?

途中からあんまりにも興味が削がれ、遠巻きに見てる。

 

毛皮に包まれた、美しい顔立ちと暗く沈んだ目を見る。

長い睫毛が綺麗だな。

何を見て、どこを歩き、どうやって最後を迎えたのだろう。

 

なんて考えて

君の生と死を、独り占めしたかったんだ、と気がついたとき

私だって、なんて傲慢なんだろうと思った。

でもだって、というならば綺麗だったんだもん。

 

自分で命を終わらせて、自分で一から了まで毛皮を剥いで肉にして

食べるのだから意味があるんだろうと思った。

 

君を知る事、私の命になること。

 

神様に祈ること。

 

それがわかっただけでも、まあいいか。

やっぱり、頼ってもいいことはない。

自分でやろう。

 

それが愛だ。

f:id:moegi15:20180406125033j:image